人々を魅了するボーイソプラノ
少年合唱団はまだ思春期を迎えていない、または思春期の初期から中期にあり、主に声変わりをしていない少年たちで構成されている合唱団です。
少年合唱団のメンバーは専門的に、ボーイソプラノとして知られており、イギリスなどではボーイトレブルと呼ばれることも多いです。
もちろんソプラノだけではなく、アルトの音域で歌う少年もいます。世界で最も古い活動中の少年合唱団は、レーゲンスブルクのレーゲンスブルク ドームスパッツェンで、975 年に設立されました。
少年合唱の歴史は長いものです。古代ギリシア時代から、少年たちによる歌唱は行われていました。しかし、近代においては少年合唱団が正式な形で組織されるようになりました。
19世紀には、イギリスなどで有名な少年合唱団が結成されました。これらの少年合唱団は、教会の歌唱や国家行事などで活躍しました。また、同時期には、少年合唱団に特化した学校も開設されました。20世紀には、少年合唱団の活動はさらに拡大しました。国際的な少年合唱団コンクールも開催されるようになり、少年合唱団の普及と発展に貢献しました。
現在では、少年合唱団は世界各地で活躍しており、多様な音楽ジャンルを取り入れ、音楽的な優れたパフォーマンスを発揮しています。
中世の少年合唱団
少年合唱団は、西洋世界の文化的伝統として中世に発展しました。女性は通常公共の場で(男女混合の)宗教音楽の演奏を禁じられていたため、男の子は教会音楽でソプラノやアルトなど、高音を歌うという責任がありました。
当時の聖歌は、多くが対唱形式であり、少年たちが一つのパートを歌い、大人たちが別のパートを歌うといった形で行われていました。
また、中世には、教会に所属する少年たちによる専門的な合唱団も存在しました。これらの合唱団は、教会の歌唱に特化していましたが、教会以外の場でも活躍することがありました。当時の少年合唱団の歌唱には、聖書に基づいたテキストや、古典的なヒーリング・ミュジックなどが含まれていました。
ウィーン少年合唱団など、現存する最古の少年合唱団のいくつかは、そのルーツをこの時代にさかのぼります。
1498年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が、宮廷礼拝堂少年聖歌隊として創設した少年合唱団がウィーン少年合唱団。原型はオーストラリア・インスブルックのヴィルテン少年合唱団で、マクシミリアン1世がウィーンでの新宮廷礼拝堂少年聖歌隊設立の際に、ヴィルテン少年合唱団のメンバーをウィーンに連れてきたものが始まりです。
ルネサンス時代の少年合唱
ルネサンス時代の少年合唱は、16世紀のヨーロッパにおいて、教会音楽における重要な役割を果たしました。ルネサンス時代は、中世後期から始まり、14世紀から17世紀にかけての芸術や文化の発展を指します。この時代の音楽は、宗教的なものが多く、教会音楽の分野でも重要な発展がありました。
ルネサンス時代の少年合唱は、主に教会音楽で使用されました。その当時の教会音楽は、多声合唱として構成され、神聖な雰囲気を作り出しました。少年合唱は、混声合唱団とは異なり、純粋で美しい声を持ち、高音域で歌うことができたため、より感動的な演奏を実現しました。彼らは、普段は教会の学校に通っていたり、修道院に入っていたりすることが多かったため、学業とともに音楽の習得も求められました。
ルネサンス時代の少年合唱は、芸術的な技術と表現力を身につけ、その後、聖職者や音楽家としてのキャリアを追求することができました。彼らは、その美しい声と感動的な演奏で、当時の聴衆たちを魅了しました。例えば、16世紀のイタリアでは、少年合唱がオペラや宗教音楽で活躍し、その芸術性の高さで有名になりました。
ルネサンス時代の少年合唱は、教会音楽のほかにも、宮廷音楽や都市の音楽会でも使用されました。例えば、ルネサンス期のイングランドでは、宮廷の音楽家たちが少年合唱を雇い、美しい音楽を演奏しました。
バロック時代の少年合唱
バロック時代の少年合唱は、16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの音楽の黄金時代であり、バロック音楽として知られる多くの名作が生まれた時代でもあります。
バロック時代の少年合唱は、主に教会音楽で使用されました。教会音楽は、キリスト教の礼拝において歌われる音楽であり、重要な場面で用いられました。バロック時代の教会音楽は、多声合唱として構成され、主旋律と伴奏として使われる器楽との調和がとても美しく、感動的なものでした。
少年合唱は、その名の通り、若い少年たちによって歌われました。彼らは、教会の学校に通っているか、修道院に入っているかのどちらかでした。修道院に入る少年たちは、しばしば「聖歌隊員」と呼ばれ、教育や食事を受けるかわりに、毎日の礼拝や祈りの中で歌うことが求められました。彼らは、音楽とともに神学やラテン語などの学問も学び、その後、聖職者や教会音楽家としてのキャリアを追求することができました。
バロック時代の少年合唱は、しばしば、ピュアで美しい声と、高い技術力によって、その芸術性を高めました。少年たちは、男性歌手のように歌声が変化する前の期間に歌い、高音域で歌うことができたため、混声合唱団と比べてより純粋な音色を出すことができました。また、彼らは、芸術的な音楽教育を受けていたため、合唱の表現力や感情表現も豊かでした。
古典派時代の少年合唱
古典派時代は、18世紀末から19世紀初頭にかけての西洋音楽の時代を指します。この時代には、モーツァルトやハイドン、ベートーヴェンなどの作曲家たちが活躍し、オーケストラや室内楽、オペラなどの音楽ジャンルが発展しました。同時に、少年合唱も発展し、広く愛されるようになりました。
古典派時代の少年合唱は、主に宗教音楽やオペラ、交響曲などの音楽に使用されました。この時代には、多くの宮廷や教会で少年合唱団が結成され、音楽教育が行われました。また、この時代には、多くの音楽学校や音楽院が設立され、少年たちが音楽を学ぶ機会が増えました。
モーツァルトは、古典派時代の最も重要な作曲家の1人であり、少年合唱に特に注目していました。彼は、少年合唱団による演奏を多くの作品に取り入れ、その美しい声を最大限に活かしました。例えば、モーツァルトのオペラ「魔笛」には、少年たちが歌う重要な場面があり、その美しい歌声は世界中で愛されています。
ロマン派時代の少年合唱
ロマン派時代は、19世紀前半から中頃にかけての西洋音楽の時代を指します。この時代には、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、リスト、ワーグナーなどの作曲家たちが活躍し、音楽の自由な表現や感情表現が求められるようになりました。同時に、少年合唱も大きく発展し、ロマン派の音楽に欠かせない存在となりました。
ロマン派時代の少年合唱は、主に宗教音楽や合唱曲、オペラ、交響曲などの音楽に使用されました。この時代には、多くの音楽家が少年合唱を用いて、感動的な音楽作品を創り出しました。また、この時代には、多くの音楽学校や音楽院が設立され、少年たちが音楽を学ぶ機会が増えました。
20世紀の少年合唱団
今日、中世に根ざした教会の伝統 (特に英国国教会、カトリック教会、正教会、ルーテル教会) は、多くの少年合唱団を主催し続けています。英国国教会は、合唱作品や少年の声の編曲への貢献で特によく知られています。
しかし、1800 年代半ば以降、教会音楽に女性の声が一般的に含まれるようになったことで、教会機関としての少年合唱団の重要性が大幅に低下しました。合唱団は、クラシック音楽や、伝統的な曲を中心に演奏するようになりました。また、合唱団の指導者は、専門的な知識や技術を身に付けたものが多くなっていました。
当時の少年合唱団は、クラシック音楽や、伝統的な曲を演奏することで、音楽的な素質や、協調性、力強い歌声などを養いました。現在の少年合唱団の多くは、独立した合唱団として 20 世紀前半に設立または再編成されました。本当に長く続いている歴史のある少年合唱団は結構少ないものなのです。
現代の少年合唱団
20世紀には、少年合唱団の活動がさらに発展しました。合唱団を結成する学校や、専門的な合唱団が多数設立されました。また、合唱団を指導する専門家も増加しました。
合唱団は、新しい音楽ジャンルにも挑戦するようになりました。クラシック音楽からポピュラー音楽まで、様々な音楽ジャンルの曲を演奏するようになりました。20世紀には、少年合唱団の活動はさらに拡大しました。国際的な少年合唱団コンクールも開催されるようになり、少年合唱団の普及と発展に貢献しました。
現在でも、少年合唱団は国内外で活躍しており、多様な音楽ジャンルを取り入れ、音楽的な優れたパフォーマンスを発揮しています。
男の子の声は現在平均して 13歳半ばまでに声変わりし、合唱団を辞める少年の比率が高くなり、合唱団の複雑で難しいとされる楽曲が歌えなくなってしまうなどの弊害が出ています。しかし、現在多くの合唱団は合唱団の卒業生に、テノールやバスへの声のパート移行をサポートし、継続的な合唱団の発展する機会を合唱団の卒業生に提供しています。
参考文献Boys' choir